NIHON KOGEIKAI

天蚕(山繭)

平成11年 7月27日更新


第28回 日本伝統工芸近畿展図録より転載しました。

(平成11年 5月 1日発行)


天蚕(山繭)


  櫟の葉を食べる蚕

 水上勉の長編小説『湖の琴』は、若狭から山を越えて近江へ出稼ぎに来た薄幸の娘の物語である。冬の間、雪に閉ざされる滋賀県の湖北地方はかつて養蚕の盛んなところで、娘の仕事は主に繭から糸を取る作業であった。勧農局の『全国農産表』によると、明治初期の繭および製糸の生産量は湖北3郡(伊香・東浅井・坂田の3郡)を合わせると、県内総生産の9割強を占めていた。天蚕飼育が行われているのもこうした養蚕が盛んであった東浅井郡浅井町である。


脱皮する蚕

1.天蚕の歴史

 養蚕は、製糸や織物技術とともに中国大陸から伝来したとされ、渡来系の工人集団がそれに関わってきた。一般に養蚕といえば屋内で蚕を飼う家蚕のことを想起するが、これとは別種の野外で蚕を飼う天蚕飼育が古くから行われてきた。家蚕は、古くは家の中で棚を架け、桑の葉を餌に飼うものであったが、現在では条桑のままを収穫して給餌するようになり、さらに人工飼料による飼育も可能となっている。ナイロンなどの化学繊維が発明される以前は、蚕糸による絹織物は高級品であったので、多くの農家で養蚕が行われてきた。
 これに対して天蚕は、野蚕の一種で山繭とも呼ばれ、地方ではヤマコ・ヤママイとも称する。屋外に生えているクヌギなどの木の葉に直接蚕を付けて飼うもので、古来は、自然の中で生息する天蚕の繭を集めて糸にしていた。それゆえ、家蚕に比べて史書に記録される機会が少なく、信州の穂高地方(穂高町有明)で天明年間(1781〜1789)に飼育したという記録が古いほうで、実際にはそれ以前にも飼育していたところがあると推測される。穂高地方では文政年間(1818〜1830)以降副業として飼養し、明治期には京都西陣をはじめ全国の機業地へ移出して有明天蚕糸の名声を博したという。こうして現在まで天蚕飼育が続けられ、我が国ではこの地域が天蚕飼育の先進地とされてきた。
 江戸時代、天蚕の飼育や繰り糸法について詳述した書物に「山繭養法秘伝抄」(1828)があるものの、家蚕が記紀神話から登場し、江戸時代には『蚕飼養法記』など100冊を越える蚕書が著された(伊藤智夫『絹氈xものと人間の文化史1992)のに比べると天蚕に関する史料は乏しい。釣り糸や医療用縫合糸などに用いるテグスは、漢字では天蚕と書くが、これはテグスサン(台湾のフウ蚕、日本のクス蚕)のことをいう。


天蚕繭

2.天蚕の生活史

 天蚕は、日本・台湾・北朝鮮・中国などに分布するヤママユガの幼虫で、和名をヤママユといい、分類上は鱗翅目ヤママユガ科に属する。その仲間は我が国の山野に10種余りが生息し、なかでも沖縄のヨナグニサンは翅を開くと20数cmもある巨大な蛾になる。
 天蚕は、冬の間は卵の状態ですごし、近畿地方では食樹のクヌギなどが芽吹く4月中旬以降にふ化する。幼虫は水を飲む習性があり、若葉を食べながら葉に付いた水を飲んで成長する。飼料となる樹木は、ブナ科のクヌギのほか、コナラ、カシワ、アベマキなどの落葉樹、シラカシ、アラカシなどの常緑樹が知られている。ふ化直後の体色は黄色であるが、成長するにしたがって緑色に変わり葉色と保護色になる。幼虫は、警戒心が強く物音で食葉をやめる。脚の握力がきわめて強いため、枝から無理にはなそうとすれば腹脚がちぎれることもある。 京都の高度な漆工芸を支えたこの丹波漆も、需要の減退と安価な輸入漆の進出で衰退し、現在ではその技術のみがかろうじて伝えられるばかりとなっている。早急に保存継承の方策を講じなければならないが、そのためにはまず、一定量の安定した生産供給とそれを保証する需要の掘り起こしが重要である。作家への期待もその点で大きいのだが、高品質をうたわれた丹波漆もいまやほとんど幻の存在であり、使用する側でその品質・特性を知る者がいない。
 野外ではふ化から50日〜60日間で脱皮を4回繰り返し、5齢で熟蚕になると、6月ごろ葉を2〜3枚つづり合わせ約3日で結繭し、6日目ごろに蛹となる。羽化は夏の盛りが過ぎた8月〜9月の深夜で、夜交尾をして食樹に産卵する。


山繭


家蚕繭

 天蚕と家蚕の比較(赤井弘・栗原茂治編著『天蚕』の表1.2から作成) 
天蚕
項目
家蚕
ヤママユガ科、ヤママユ分類カイコガ科、カイコガ
日本原産地中国
クヌギ、コナラ、カシワ、シラカシなど呂色炭飼料樹クワ
約8mg約0.6mg
17〜20g(5齢最大時)幼虫5g(5齢最大時)
屋外50〜60日、屋内32〜42日日数屋内21〜24日
美しい緑色 全身に剛毛体色白色 体表はすべすべ
夏眠するさなぎ夏眠しない
橙黄色が多い、翅開長18〜12cm成虫白色、翅開長4〜5cm
夜間、150〜250粒産卵昼夜、500〜650粒
長楕円形、約4.8×2.5cm楕円形または俵型、約3.6×2.0cm
緑色または緑黄色、雌8g、雄6g  白色、雌2.2g、雄1.8g
1粒600〜700m、5〜6デニ―ル1粒1200〜1500m、2.8〜3デニ―ル
1000粒から250〜300g生糸量1000粒から350〜400g
緑黄色糸の色白色

  天蚕の飼育は、クヌギを植裁して樹園を形成し、樹高を人の背丈ぐらいに押さえ、パイプハウスに防除ネットを張りめぐらして天敵の鳥や蜂から守る。また、放飼期前に防除剤を食樹へ散布して病害虫から天蚕を守る努力もしなければならない。  

3.天蚕繭の製糸工程

天蚕の製糸はだいたい次のような工程で行われる。

(1)殺蛹
天蚕繭は、羽化するまで約40日あるが、生繭で繰り糸する以外は、燻蒸などにより蛹を殺す。
(2)貯蔵
風通しのよいところでカビの発生を防ぎながら保管する。
(3)選繭
不良の繭を選除する。
(4)煮繭
繭糸を膠着させているセリシンを軟和させるため、ある程度時間をかけて繭を煮熟することが肝要で、これが糸引きの過程での切断やもつれを防ぐ。
(5)繰り糸
座繰り機などを用いて、鍋の湯で煮繭しながら糸口を求め、5〜7粒の繭の糸を抱合し1本の糸にする。天蚕繭の場合は、繭の構造から外層部を一皮手でめくって糸口を見つける方法をとらねばならない。
(6)揚げ返し
小枠に巻き取られた天蚕糸は、大枠に巻き替える。これを揚げ返しという。
(7)仕上げ
大枠からはずして2つ折りにして結束する。


糸引き・座繰り製糸(邦楽器原糸<家蚕>・滋賀県浅井町)

 上記の製糸とは別に出殻繭などを利用して真綿から紬糸を製造することも行われている。
 天蚕繭の製糸は、家蚕の繭に比べて解じょ率が悪いため、座繰り機またはこれに準ずる機械で糸取りをするが、作業効率の悪い繰糸作業となる。糸取りは、一般に女性の賃仕事として推移してきたが、作業能率の悪い天蚕繭の糸取り単価は必然的に家蚕繭のそれに比べて高額になる。また屋外で飼育するため、自然の影響を受けやすく、家蚕繭に比べて生糸量も少ないなど改良すべき諸問題を抱えている。
 天蚕糸などの野蚕糸は、染料の吸着が悪いため濃く染まらず、色落ちしやすい性質を持っている。しかし、優美な淡緑色の光沢をはなつ天蚕糸は強伸性に富み、家蚕糸にはない魅力を持っていて、「繊維の女王」、「織物のダイヤモンド」として愛好家の間では珍重されてきた。そして、ブロ―チ・名刺入れ・財布・ネクタイ・ショ―ル・テ―ブルセンタ―・袱紗などに使用され、最高級品として販売されている。
 天蚕の飼育は、長期化した繊維業界を打破するため、または農村の村おこし運動の1つとして1980年代から各地で行われるようになった。しかし、飼育法や繰糸法などでなお技術的に不明な点が多く、研究が進められているところである。

 (滋賀県教育委員会文化財保護課 専門員 長谷川嘉和)


協力・資料提供  滋賀県農業試験場 湖北分場
          辻 陶吉氏
          西村英雄氏
          村上良子氏

写真        出水伯明氏

協賛        松下電器産業株式会社



表紙へもどる

製作著作
社団法人日本工芸会
1999